http://www.cinema-today.net/
昨日が立冬でしたね。
つまり、もう暦の上では冬、確かに寒くなってきました。
そろそろ暖房器具を考えたくなる時期ですが、最近はダイニン
グ用のこたつが売れているそうですね。
確かに最近はどこの家もフローリングだし、ちょっと見た目は
格好悪いですが、暖かくご飯が食べられます。
しかし、ちょっと思ったんですが、こたつ用のヒーターさえあれ
ば、どんなテーブルでもこたつになるのでは…
後は、ダイニングテーブルの下に設置できる足元専用のこたつ
とかあれば、格好悪くもならないしいいのでは… と思ったら、
こんな商品もありました。
フローリングは足元が寒いですから、いろいろ工夫して暖かい
冬をお過ごしください。
今日は『いのちの食べ方』。
イメージフォーラムと宇都宮テアトルで明日公開。
以後、全国巡回します。
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/main/theater.htm
-------- 目次 --------
■ 今日の映画
いのちの食べ方
□ ヒビコレリンク
□ DVD今日の買い!
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■ 今日の映画 − いのちの食べ方
--cinema2091------------
いのちの食べ方
Unser Taglich Brot
2005年,オーストリア=ドイツ,92分
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<キャスト&クルー>
監督 ニコラウス・ゲイハルター
脚本 ニコラウス・ゲイハルター
ウォルフガング・ヴィダーホーファー
撮影 ニコラウス・ゲイハルター
キャスト ドキュメンタリー
<評価>
☆☆☆(満点=5)
<プレヴュー>
機械で猛スピードでより分けられるひよこ、ビニールハウスで機
械的に栽培される野菜、巨大な機械で耕される畑、人々の食生活を
支える食料の、その作られ方は美しくもあまりに無生物的なものだ。
オーストリアのドキュメンタリー作家ニコラウス・ゲイハルター
がなかなか見ることのできない食糧生産現場にカメラを持ち込み、
その過程を綿密に映し出したドキュメンタリー。私達と他の生き物
との関わり方について考えさせられる。
<レビュー>
この作品のいいところは現在の食物生産の徹底的な効率化を描い
ている点だ。動物も植物も自然から引き離され、人工的な環境の中
で育てられる。ベルトコンベアーから超高速でかごに振り分けられ
たひよこは、一度も陽の光を見ることなく若鶏となってやはりベル
トコンベアーで運ばれて精肉となる。それは残酷さを排除した合理
的なシステムである。しかしそこには何かぼんやりとした不安とい
うか後ろめたさのようなものも付きまとう。自然から引き離された
動植物、それを食べる自然から引き離された人間、この作品に描か
れている世界は私達に大地との間にギャップがあるような気にさせ
る。
作品の終盤に一面ビニールハウスで覆われた風景の映像が登場す
る。それを見て感じるのは、私達は地球の上に立っていながら大地
の上には立っていないということだ。私達はビニールハウスやある
いはアスファルトにによって物理的に大地と絶縁されていると同時
に人工的な食物によって心理的にも大地から引き離されている。
私たちは確かに日常的に土や森や畑や海や川を目にする。しかし、
それは私達の生活と直接的につながっているだろうか。私達(特に
都市生活者)の生活にかかわっているものといえば、道路や建物や
電車といった人工物であり、食べ物も出来上がったお惣菜やレトル
ト食品、パックされた肉や魚、きれいに整形された野菜などだ。
この作品は、食物の面で私達がいかに大地と引き離されているか
を描くことで、そのことを考えさせる。同時に食べている人々の映
像も映すことで、食糧生産と食べることを結び付けようとするのだ。
それを見ると食べ物に対してもう少し注意深くなろうという気にな
る。日本語の「いただきます」という言葉は生き物の命を「いただ
く」という意味だということはよく言われる。キリスト教などの食
前の祈りは「日々の糧(Dairy Bread)」を与えてくれた神に対す
る感謝だが、日本語の「いただきます」は食べ物となってくれた生
き物そのものに対する敬意の表れである。そのような文化の中で生
きてきた日本人としては、改めて生き物を「いただく」ことの意味
を考えさせられる。
ただ、この作品は完成度としてはどうかという気もする。それぞ
れのショットは本当に美しく、惚れ惚れするものだが、全体として
はさまざまな断片がつなぎ合わされただけで、それぞれの生き物が
どのようにして食卓に上るのかという全体の過程は見えにくい。豚
や牛が屠殺されさばかれる過程を見せるのはいいが、それが食卓に
上るまでには、その大きな肉の塊が細かく裁断され、あるいは成型
されて、パッキングされてスーパーの店頭に並ぶという過程がある。
そこまで描かなければ生き物としての牛とわれわれが口にする牛肉
とはリアルに結びつかないのではないか。
その意味ではフレデリック・ワイズマンが1976年に撮った『肉』
のほうがリアリティがあるといえる。ワイズマンの『肉』は若牛が
競りにかけられて太らされ、屠殺されて処理され、最終的にブロッ
ク肉になったり、ひき肉になったりして工場から出荷されるまでを
つぶさに映していた。それは牧場で草を食む牛とわたしたちが口に
する牛肉とを直接的に結びつけるものであり、その間のブラックボッ
クスとなっている部分を明るみに出すものだった。
この作品もたくさんの食べ物を欲張って盛り込むのではなく、対
象をいくつかに絞ってその過程を克明に描いていったほうが、説得
力を持ったのではないか。いくら従業員がランチを食べるシーンを
長々と映したとしても、彼らが食べているものと彼らが加工してい
るものが直接的に結びつかなければそれほどの喚起力は持たない。
ここに登場する機械は機能美にあふれた美しいものだ。その美し
さをもっとうまく利用して、私達を魅了し、衝撃を与えてくれれば
もっと面白い作品になったと思うのだが。
□ ヒビコレリンク
『肉』
□ DVD今日の買い!
<今日の作品:いのちの食べ方>
『いのちの食べ方』公式サイト
<今日のお勧め>
ドキュメンタリーのベストセラーを







