2007年12月24日

スモーク

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--cinema:s1-01-----------

 スモーク

 Smoke
 1995年,アメリカ,113分


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<キャスト&クルー>

監督 ウェイン・ワン
原作 ポール・オースター
脚本 ポール・オースター
撮影 アダム・ホレンダー
音楽 レイチェル・ポートマン

キャスト ハーヴェイ・カイテル
     ウィリアム・ハート
     ストッカード・チャニング
     フォレスト・ウィテカー
     ジャンカルロ・エスポジート

<評価>

☆☆☆☆1/2(満点=5)


<プレヴュー>

 毎朝自分の店の写真を撮る煙草屋の主人オーギー(ハーヴェイ・
カイテル)、なじみの客で小説家のポール(ウィリアム・ハート)、
ポールに助けられる少年ラシード(ハロルド・ペリノー)という3
人を中心としてブルックリンの人々の日常を描いた。
 ポール・オースターの原作・脚本だけあって、物語には深みがあ
り、現実とも虚構ともつかない語りに味わいがある。決してハラハ
ラドキドキする物語ではないが、みるものを引き込む魅力に満ちた
ストーリー。


<レビュー>

 なんだかよくわからないけれど面白い、ついつい何度も見てしま
う映画というのはそういう映画が多い。私にとってこの『スモーク』
はそんな映画だ。ドラマらしいドラマが立ち現れそうになると、ふっ
と静かな間が挟まれて、アンチクライマックスになる、その繰り返
しであるこの映画にはよくわからない魅力が溢れている。
 この映画の主人公は誰かではなく、ブルックリンという街である。
だから、オーギーはこの街を毎日写真に撮る。それはそこを歩いて
いる人を撮っているわけではなく、街そのものを撮っている。ポー
ルが「みな同じだ」といい、オーギーが「ゆっくり見るんだ」とい
うとき、それが意味するのはその場所がやっぱり変わっていないと
いうことに対する喜びであり、その街の持つゆったりとした時間の
流れのよさである。
 だから、この物語はその街の時間の流れに合わせるようにゆっく
りと進行する。しかし、他方でこの街には生き急ぐギャングのよう
な若者もいて、時間の流れは一様ではない。
 そして、この映画を見ながら思うのは、そのような時間の流れの
違いを生むのは、お金や地位や名誉といった外からの評価に対して
どのような態度をとるのかというスタンスの違いではないかと思う。
オギーやポールもお金を欲しがっていないわけではないけれど、そ
れを第一には考えない。彼らはお金や地位や権力よりも、自分自身
が満足するということを重要視している。そこには友達や自分の周
りにいる人々との関係も含まれるわけだが、何かに向かって突き進
んで行くというよりは、その時々の悦び、タバコのような刹那的な
快楽も含めた一瞬の楽しみをより大事にしているのだ。ポールが語っ
たデカルトだか誰かがタバコの巻紙がなくって自分の論文を丸ごと
吸ってしまったというエピソードなどは、そのような価値観を端的
にあらわしている。彼は自分が論文によって構成の人にどのように
評価されるのかということより、今この瞬間にタバコをすうことの
ほうを重要だと考えたのだ。
 そして、ラシードがそれを信じないのは、彼が若者でそのような
刹那的な悦びよりも未来を重視しているからだ。だからポールやオー
ギーとラシードとは本当には交わらない。しかし、それはそれでい
いのだ。

 この映画のもうひとつの面白さは、普通に考えたらおかしいよう
なことがまったく普通の事として行われていることだ。「タバコを
やめなきゃ」といっているオーナーが当たり前のように大きな葉巻
の箱を2箱も持って行く。ルビーは義眼を「失くした」といとも簡
単に言う。
 当たり前に過ぎてゆく時間の中に紛れ込む不思議なおかしさ、そ
れもこの映画が魅力的である大きな理由のひとつであると思う。
 そして、その当たり前に過ぎ行く時間というのは、基本的に繰り
返しの時間である。オーギーが毎日写真を撮ることに象徴される繰
り返し、それはポールが毎日、同じ時間に起きてタイプライターに
向かうということ、タバコ屋という同じものが並んでいる空間、映
画の公正もほぼ同じ長さの5つのエピソードで構成されている。こ
の繰り返しは、その一つ一つが同じことの繰り返しのようで少しず
つ違っている。その小さな変化に悦びがあり、だから日常に満足す
ることが出来る。
 この『スモーク』という映画を見るということも、そのような少
しずつ違う繰り返しなのではないか。何度見ても煙にまかれるよう
にその本質はするりと見るものの手を逃れて行ってしまうけれど、
そのたびごとに違う面白さが見えてくる。だから、この作品を繰り
返し観てしまうのだと思う。

価格:¥ 4,780(定価:¥ 3,990)
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クラッシュ

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--cinema:s1-04-----------

 クラッシュ

 Crash
 2004年,アメリカ,112分


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<キャスト&クルー>

監督 ポール・ハギス
脚本 ポール・ハギス
   ボビー・モレスコ
撮影 J・マイケル・ミューロー
音楽 マーク・アイシャム

キャスト サンドラ・ブロック
     ドン・チードル
     マット・ディロン
     ジェニファー・エスポジート
     ブレンダン・ブレイザー
     ライアン・フィリップ

<評価>

☆☆☆1/2(満点=5)


<プレヴュー>

 ある夜、交通事故にあったロサンゼルス市警の刑事のグラハムは
その近くの現場で発見された死体を見て驚く。その前日、黒人の2
人組が検事の車を強奪、その妻ジーンはパニックに陥る。ペルシャ
人の店主ファハドは娘を伴って銃を買いに行き、警官のライアンは
父の病気のことでクリニックに悪態をつく。
 クリスマスを間近に控えたロサンゼルスで、様々な人種の人々が
差別と偏見に翻弄されるさまを描いたサスペンス・ドラマ。アカデ
ミー作品賞を受賞した。


<レビュー>

 この映画の明らかなテーマは“人種”である。白人、黒人、ヒス
パニック、アジア人、ペルシャ人、それらの人々が互いに対して持
つ偏見が人々の行動を狂わせ、運命を狂わせる。
 アメリカで人種についていうと、なんと言っても黒人に対する差
別に意識が行くが、差別はそれだけではない。単純化すれば白人を
頂点とするヒエラルキーが存在し、白人の下に黒人がおり、その下
にヒスパニックやアジア人と言った人々が存在することになるわけ
だが、もちろん制度上はマイノリティと呼ばれる人々は一緒くたに
されて、差別を撤廃するための優遇措置がとられている。
 そのような差別を撤廃するための動きは当然のことだし、これま
での歴史を見ればある程度の強制力がなければ差別というモノがな
くならないことは明らかである。
 しかし、そのような対極的な、鳥瞰的な視点からでは見えない問
題が無数に存在することをこの映画は示そうとしている。

 たとえば、マイノリティ同士の差別意識、最初の事故のシーンで
アジア人の女性がヒスパニックの女性に向けて放つ侮蔑の言葉、そ
れはマイノリティが差別を受ける側にとどまるのではなく、同時に
差別する側でもあるということを如実に示す。そしてそれは「白人」
や「黒人」という概念を持ち出すことによってより複雑になる。ド
ン・チードル演じるグラハムの恋人リアはグラハムが自分のことを
母親に「白人女」と言ったことにショックを受ける。これは自動車
泥棒の黒人二人組のもつ白人に対する偏見と根を同じくするもので
ある。差別の主体としての白人に対する嫌悪、それが拒絶という形
で表れるのである。
 そして、それはまた人種差別主義者である白人警官のライアンの
意識とも関係してくる。彼は黒人を差別するが、それは彼のような
“プア・ホワイト(あるいはレッド・ネック)”と呼ばれる白人に
よく見られる現象である。彼らは黒人が優遇されることによって直
接的な不利益を受けてきた。それがいわゆる“逆差別”と意識され、
マイノリティに対する反感を強めるのだ。
 あるいは、そのようなプア・ホワイトではなく、マイノリティに
対する差別意識を持っていない(と周囲にも思われているし自分も
思っている)ような白人であっても、どこかに差別の前段階ともい
える偏見を抱えているということも問題化されている。サンドラ・
ブロック演じる検事の妻ジーンなどはそのような意識にさいなまれ
る典型的な人物であるし、人種差別的な同僚の行動に眉をひそめる
警官のハンセンでもその呪縛から逃れられないということが映画の
クライマックスで衝撃的な形で明らかにされる。

 いったいこれは何なのか、たとえば黒人に対する潜在的な恐怖心
というようなものは“ネグロフォビア”と名づけられ、社会的なシ
ステムの問題と定義されるが、そのように言葉によって定義するこ
とにどのような意味があるのか。結局、偏見や差別という問題が表
面化するのは個人のレベルである。人種の異なる人同士が1対1で
向き合うとき、そこには生の偏見や意識が現れる。それは人間が他
者に対して持つ普遍的な恐怖が人種という社会的な異化によって増
幅されたものである。例えばある白人の女が黒人の男に出あった時
には、「黒人は乱暴である」という刷り込みによって白人の女は白
人の男に出あった時よりも強い恐怖を覚えてしまう。
 それはもちろん人種以外の要素でも起こりうることだ、例えば相
手が大きいとか顔が怖いとか。しかし、人種という要素が特に顕著
なものとして浮かび上がってくるのは、それが「理解できないもの」
に対する恐怖とつながっているからだ。人間は他者の中でも特に理
解できない他者に恐怖を覚える。それは相手が何をするかわからな
いからだ。そして、見た目が自分とかけ離れているものほど「理解
できない」と考えがちである。だから、見た目が自分とは異なる違
う人種の人間に対して恐怖を強く覚えるのである。その原理が歴史
によって増幅され、人種と人種の間に産めることのできない溝を生
み出してしまった。

 だから、個人のレベルにおいてもそれは根深く残ってしまう。し
かし、この映画はそこで突き放すことはしない。その溝を埋める可
能性も個人のレベルにはあるということを何とか示そうとしている
のだ。それが端的に現れるのはペルシャ人の店主ファハドのエピソー
ドである。彼が経験したような“奇跡”がその溝を埋めるのだ。
 しかし、この物語全体はそのような“奇跡”を完全には信じてい
ない。それで全てがうまく行くなどという絵空事を唱えはしない。
だからこそこの作品の結末にはどこか空虚な絶望が残る。人種とは
関係なく、人と人とは結局は完全に理解しあうことはできない。そ
のような当たり前のことに対する諦めがそこにはあるように思えて
ならない。


価格:¥ 2,450(定価:¥ 3,990)
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世界中がアイ・ラヴ・ユー

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--cinema:s1-02-----------

 世界中がアイ・ラヴ・ユー

 Everyone Syas I Love You
 1996年,アメリカ,102分


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<キャスト&クルー>

監督 ウディ・アレン
脚本 ウディ・アレン
撮影 カルロ・ディ・パルマ
音楽 ディック・ハイマン

キャスト アラン・アルダ
     ウディ・アレン
     ドリュー・バリモア
     ルーカス・ハース
     ゴールディ・ホーン
     エドワード・ノートン
     ナタリー・ポートマン
     ジュリア・ロバーツ
     ティム・ロス

<評価>

☆☆☆☆(満点=5)


<プレヴュー>

 マンハッタンのペントハウスに暮らす裕福な家庭の一家、娘のひ
とりスカイラーはまもなく結婚しようとしている。語り手であるそ
の妹のDJの父親はパリにいるが、DJは継父とも、異父妹たちとも仲
が良く、夫婦も妻の元夫のジョーとも仲が良かった。
 裕福な家庭の恋愛模様を中心にウディ・アレンが撮ったちょっと
かわったミュージカル・コメディ。笑えるところもあり、皮肉の効
いたところもあるが、幸せな気分にもなれて、クリスマスにみるに
はいい作品。


<レビュー>

 この作品に賛否両論あるだろうことは想像に難くない。おそらく
ウディ・アレンの映画が好きな人やミュージカルが好きな人はこの
映画をあまり楽しめないのではないか。この映画にはウディ・アレ
ンらしい皮肉があまりないし、ミュージカルという形態をとった分
ウディ・アレンらしいスピード感も失われてしまっている。そして
ミュージカルという面では、ここはウディ・アレンらしさが入り込
んでいて、ミュージカルに対する憧れとおちょくりの両方がない交
ぜになって今ひとつミュージカル的な世界観が出来上がってはいな
いからだ。
 しかし、ウディ・アレンにもミュージカルにも特に思い入れがな
いという人にとってはこれは、かなり楽しめる映画ではないか。か
く言う私もその一人だが、この映画にはウディ・アレンのいい部分
(言い換えるなら一般受けする部分)が十全に込められていると言っ
ていいと思う。
 ウディ・アレンとは根本的に喜劇作者であり、たとえ作風が陰鬱
であっても、そこには笑いがある。その笑いが理解できないという
部分も大いにあるのだけれど、この作品ではその笑いがストレート
に表現され、わかりやすく面白いネタがちりばめられている。そし
て物語のほうも比較的素直で、幸せな気分になれる物語になってい
るのだ。
 もちろんその分、含蓄は減ってしまうわけだが、それでもミュー
ジカル部分にはミュージカルをおちょくるような違和感をそこに潜
ませて、観客にメッセージを送る。その違和感の原因は典型的な
ミュージカルが描く紋切り型のステレオタイプを裏切ることにある
のだろう。そしてそれは非常にニューヨーク的であるということで
もある。それは、さまざまな人が登場する一番最初のミュージカル
シーンに現れている。それはまさにニューヨークのミックスされた
文化の象徴であるのだ。そして、途中ではタクシーの運転手が(お
そらく)ヒンディー語で歌い、最後はマルクス兄弟に扮した人たち
がフランス語で歌う。
 この何かぐちゃっとした感じが私には非常に心地よかった。富豪
一家が主役ではあるけれど、彼らは少々冷笑しつつ、そこにある作
り物ではない幸せを眺める。共和党にまつわるエピソードにはウ
ディ・アレンらしい強烈な皮肉(この映画の製作会社であるミラマッ
クスは93年に共和党の大きな支持者であるウォルト・ディズニー・
カンパニーに買収されている)も込められていて、この主人公たち
に対する視線もなんだか単純ではないということがわかる。
 このような複雑さのうえにシンプルな物語が乗っているというの
がこの映画の一番のよさなのだろう。最後はクリスマスが舞台にも
なるし、クリスマスに見るにはいい映画だ。

価格:¥ 14,800(定価:¥ 4,935)
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三十四丁目の奇蹟

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--cinema:s1-03-----------

 三十四丁目の奇蹟

 Miracle on 34th Street
 1947年,アメリカ,96分


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<キャスト&クルー>

監督 ジョージ・シートン
原作 ヴァレンタイン・デイヴィス
脚本 ジョージ・シートン
撮影 チャールズ・クラーク
   ロイド・エイハーン
音楽 アルフレッド・ニューマン

キャスト エドマンド・グウェン
     モーリン・オハラ
     ジョン・ペイン
     ナタリー・ウッド
     ジーン・ロックハート

<評価>

☆☆☆☆(満点=5)


<プレヴュー>

 メイシーズのクリスマスパレードにサンタクロースそっくりの老
人がやってくる。その老人は行列のサンタが酒によっていることに
起こり、パレードの責任者に告げる。責任者のドリスはサンタ役を
解雇してその老人クリスにサンタクロースをやってくれるよう頼む。
そしてクリスのサンタは評判を呼び、クリスはメイシーズに雇われ
ることに。
 ただのクリスマスの夢物語で終わらないサスペンスフルな展開が
面白いクリスマス映画の名作。展開にハラハラ、最後には感動とい
う脚本が非常に巧みで、アカデミー脚色賞も受賞。ちなみに子役の
女の子は後に『ウェストサイド物語』で主役を張ることになるナタ
リー・ウッド。


<レビュー>
 非常に素朴な話である。しかし話はよく練られている。クリス・
クリングル氏は最初、名前すらないただサンタクロースに似ただけ
の老人として登場する。なんとなくサンタクロースになりきってい
るということはわかるが、自分がサンタクロースであると声高に主
張することはしない。しかしその心はクリスマス精神にあふれてい
て、それがにじみ出てくる。その暖かな謎が映画を包み込み、すっ
と映画に入ることができる。
 そしてドリスとスーザンの母娘と弁護士フレッド、その誰もが穏
やかに登場し、スムーズに物語に乗っていく。さらにいろいろな脇
役の人たちが登場し、そこにはさまざまな摩擦や衝突が生じはする
のだけれど、それは映画の物語を面白くするだけで、決して深刻に
なったりはしない。
 それはなぜかといえば、クリスマスの主役はやはり子供たちであ
り、登場する人々の誰もが子供たちのことを大切に思っているから
である。だから、結局のところクリス・クリングル氏が本当のサン
タクロースかどうかなどということはどうでもいいことなのだ。ク
リングル氏が言っているようにみんながクリスマス精神を取り戻し
さえすれば、それでいい。サンタクロースは決して自分がサンタク
ロースだと認めてもらいたいとは言わないだろう。クリスマスは心
の問題だというのと同じく、サンタクロースも心の問題なのだ。サ
ンタクロースが物理的に存在するかどうかは問題ではなく、結果的
にサンタクロースがいると子供たちが信じることができるような心
の持ちようでみながいることが大切なのだ。と、思うことができる。

 映画の展開は穏やかで、素朴で、今の映画から見ると恐ろしく刺
激にかけることは確かが、逆にこの映画のように始終かすかな笑み
が口元に浮かぶ映画というのは今となっては貴重なのだ。優しい気
持ちで、それこそ自分がサンタクロースになったような気持ちで画
面を眺めることができる。子供たちはもちろんのこと、メイシーズ
の社長のことも、判事のことも、政治家のことだって穏やかな気持
ちで眺めることができる。彼らだってサンタクロースにしてみれば
子供みたいなものなのかもしれない。
 そんな風な映画だから、クリスマス映画ではあってもまさにクリ
スマス・イヴという日に見るよりは、その一週間前とかに見て、穏
やかで優しい気持ちになってからクリスマスまでの時間をすごして
みるといいかもしれない。
 『三十四丁目の奇跡』という題名ではあるけれど、果たして奇跡
は起こったのか?何を奇跡と考えるかにもよるけれど、私はこの映
画はいわゆる奇跡を描いたものではないと思う。みながクリスマス
の心持になれば(そのこと自体が奇跡といえるのかもしれないけれ
ど)、奇跡に様なことはいくらでも起きる。この映画を見たら、そ
んな気持ちにすらなってしまう。

価格:¥ 3,845(定価:¥ 4,179)
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ロジャー&ミー

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--cinema:s1-05-----------

 ロジャー&ミー

 Roger & Me
 1989年,アメリカ,90分


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<キャスト&クルー>

監督 マイケル・ムーア
脚本 マイケル・ムーア
撮影 クリストファー・ビーヴァー
   ジョン・プルーサック
   ケヴィン・ラファティ
   ブルース・シェーマー
音楽 ジュディ・アービング

キャスト マイケル・ムーア


<評価>

☆☆☆☆(満点=5)


<プレヴュー>

 マイケル・ムーアはミシガン州フリントで生まれ育った。その町
はGM創設の町であり、マイケル・ムーアの家族も彼以外は全員G
M社員だった。マイケル・ムーアは町を出てサンフランシスコの雑
誌社に勤めたが肌に合わず帰郷、するとGMが工場を次々と閉鎖し
たことで町は苦境にあえいでいた。失業者があふれ、どんどん人が
いなくなっていく町を観てもらおうとマイケル・ムーアはGM会長
のロジャー・スミスに会いに行くが…
 突撃取材で人気を博するドキュメンタリスト、マイケル・ムーア
が自身の原点とも言えるフリントの町を描いたドキュメンタリー。
映像のモンタージュによってエンターテインメント性を持たせ、面
白い映画になっている。


<レビュー>

 マイケル・ムーアは映像が人に喚起するイメージの力を使う方法
を非常によく心得ている。ただ事実を映すだけ、ただ思ったことを
いうだけ、それだけでいいたいことが見ている観客に伝わるわけで
はない。マイケル・ムーアはそのことを知っていて、いかに映像を
使って観客に自分の考えを押し付けるかということを徹底的に追求
する(「押し付ける」というのは穏やかな言い方ではないが、彼の
やり方は考えを「述べる」というよりは「押し付ける」といったほ
うがふさわしいと思う)。
 最も典型的なのはロジャー・スミスが全GM社員に向けてメッセー
ジを送るクリスマス・イヴのパーティーの様子と、同時に(ではな
いが同じ日に)進行する立ち退きの様子を交互に映し、ロジャー・
スミスの声をオーバー・ラップさせていく。これほどにあからさま
なメッセージはない。それはもちろん、従業員をこんな苦境に陥ら
せた当の本人がのうのうと「クリスマスは素晴らしい」などといっ
ていることの欺瞞を暴こうということのである。
 マイケル・ムーアはそのようにして観客の感情やものの見方を操
ることが非常に巧みである。時には笑いを使い、時には怒りを使う。
基本的には金持ちを皮肉って笑いものにし、そのような金持ちを金
持ちにし、われわれを貧しくしていく社会システムを呪うのだ。そ
れは観ているといらいらさせられるけれど、一方では面白くもある。
マイケル・ムーアが金持ちを嘲るのを見ているのは痛快なのだ。そ
して、金持ちたちの振る舞いはわれわれが予想しているとおりに非
人間的であり、欺瞞にあふれている。それはわれわれの自尊心をく
すぐりもする。われわれは貧しくあはあるけれど、人間的には彼ら
より上だと。

 しかし、それだけではすまない。マイケル・ムーアの冷笑はわれ
われにも、そして彼自身にも及ぶ。それは金持ち連中もわれわれも
マイケル・ムーア自身も結局は自分のことしか考えていないという
ことがにじみ出てくるからだ。誰もが自分を正当化するためにしゃ
べる。自分は悪くないということをひたすら言う。マイケル・ムー
アがやっていることだって自分自身の正しさをみんなにわからせる
ためのことであるのだ。
 そして、映画はそこで止まる。
 マイケル・ムーアは金持ちを冷笑するエンターテインメント性で
われわれを引き込み、観客を貧しいものの側に立たせ、貧しいもの
たちを弁護して、彼の考えを押し付ける。自分の正しさを主張し、
自分も含めて誰もがただただ自分を正当化するためにしかしゃべっ
ていないということをほのめかして終わる。
 何も変わらず、一歩も進まず、終わる。そこから先は完全に観客
の自由なのだ。なんだか突き放しているようだが、それでいいんだ
と思う。ドキュメンタリストは活動家ではない。




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クリスマス特集2007

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今日はクリスマス・イブです。
今日クリスマス・イヴの夜にでも見るのにいい映画というのを
おとどけします。
何年か前に私は「勝手に映画10選」というメールマガジンを
やっていたのですが、10本ずつ紹介していくのは結構大変なの
で、無期休止となっています。今日の企画は、これをじわりと
復活させようという企画でもあります。
ストックが2000本あまりになったので、そこからなら5本や10本
選ぶこともできるかなと。
というわけで、今日はクリスマスに見る映画5本をお届け。
『ホーム・アローン』や『ダイ・ハード』は入れませんでした。

ではどうぞ。



-------- 目次 --------

■ 今日の特集 − クリスマスに見る映画

■ 今日の映画
 スモーク
 世界中がアイ・ラブ・ユー
 三十四丁目の奇蹟
 クラッシュ
 ロジャー&ミー

□ DVD今日の買い!

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■ 今日の特集 − クリスマスに見る映画

 今日はクリスマス・イヴです。クリスマス・イヴには家でビデオ
を。それにいいのではないかという作品を今日はリストアップしま
す。

・クリスマスに暖かい気持ちになる
 『スモーク』

・クリスマスににやりと笑う。
 『世界中がアイ・ラブ・ユー』

・クリスマスの名作を見る
 『三十四丁目の奇蹟』

・クリスマスにシリアスなサスペンスを見る
 『クラッシュ』

・クリスマスに社会について考える
 『ロジャー&ミー』




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