2008年02月08日

潜水服は蝶の夢を見る

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このところDVの話題がいくつかありました。昨日はバラバラ殺人
の裁判でDVが原因として挙げられ、数日前にはDVに関する講演
会が反対運動によって中止になったりしました。
日本はまだDVに対する認識も対策もまだまだという気がします。
DV法に反対する気持ち(目撃者がいないから離婚を有利にするた
めの方便などに使われる)もわかりますが、DVによる物理的な被
害とDVを語った場合の被害を比べればそれは比較の意味も無いく
らいのもの。DVの被害を訴える人は無条件にまず保護されなけれ
ば、意味はありません。DVだといわれる側にも言い分はあるでしょ
うが、それは保護されたあと裁判なり何なりで決めればいいことで
は無いかと思います。
アメリカではちょっと小突いただけでもすぐに捕まります。しかも
男性ばかりでなく、女性によるDVもかなりの数に上るということ。
興味がある方はぜひフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー
『DV』『DV2』を見てください。
2月29日にアテネフランセで上映があります。2本で6時間ですが、
見る価値はありますよ。

今日は明日から公開の『潜水服は蝶の夢を見る』です。
これはかなりオススメです。
明日公開は首都圏のみですが、来週以降けっこうなかずの劇場で
やるみたいですので、ぜひどうぞ。
http://www.chou-no-yume.com/theater.html



-------- 目次 --------

■ 今日の映画
 潜水服は蝶の夢を見る

□ ヒビコレリンク

□ DVD今日の買い!

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■ 今日の映画 − 潜水服は蝶の夢を見る


--cinema2149------------

 潜水服は蝶の夢を見る

 Le Scaphandre et Le Papillon
 2007年,フランス=アメリカ,112分


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<キャスト&クルー>

監督 ジュリアン・シュナーベル
原作 ジャン=ドミニク・ボビー
脚本 ロナルド・ハーウッド
撮影 ヤヌス・カミンスキー
音楽 ポール・カンテロン

キャスト マチュー・アマルリック
     エマニュエル・セニエ
     マリ=ジョゼ・グローズ
     アンヌ・コンシニ
     パトリック・シェネ

<評価>

☆☆☆☆1/2(満点=5)


<プレヴュー>

 突然、病室で目覚めたボビーは目はぼんやりとしか見ることがで
きず、体の自由はまったく利かない。少しずつ記憶をよみがえらせ
た彼はドライブの途中であったことを思い出す。自分が病院で麻痺
状態にあることを知った彼は自暴自棄になるが、やがて言語療法士
の協力を得て生きる意志を取り戻していく。
 ELLEの元編集長ジャン=ドミニク・ボビーが左目の瞬きだけで綴っ
た奇跡の自伝の映画化。素晴らしい物語と言葉そして映像、ジュリ
アン・シュナーベルはカンヌ映画祭で監督賞を受賞した。

*各映画賞の結果はまだでていませんが、アカデミー賞、インディ
ペンデント・スピリット賞、セザール賞で監督、脚色、撮影などで
ノミネートされています。


<レビュー>

 この映画の始まりは非常にいらだたしい。焦点の定まらないぼや
けた映像、光線は強すぎ、目の前にいる人の顔すらまともに見えな
い。しかし、この始まりこそがこの映画の素晴らしさのひとつであ
る。主人公ジャン=ドーの感じた苛立ちと戸惑い、それを数週間も
昏睡し続け、ようやく目を覚ました彼の目に映るそのまま(と想像
されるよう)に再現する。そこに私たちが見るいらだちは、まさに
彼が感じたいらだちであり、私たちはそれを追体験するのだ。
 そしてこの作品はさらに彼の視線を再現し続け、彼の夢をも映像
化する。その夢もなかなか理解し難い悪夢的なものだ。しかし映像
は素晴らしい。それは必ずしも整ったものではなく、ゆがみやひず
みがあり、しかしそこには美が宿り、力がある。
 しかもずっとジャン=ドーの主観で進めるのではなく、時に彼を
外側から見つめることもある。このとき、私たちが感じる解放感は、
クローズド・シンドロームの彼には決して感じることのできない解
放感なのだということも、この作品に深みを与えている。
 そのような状況の中で、彼は本を書くのだ。「自分を憐れむのは
やめた」というその一言で、彼は再び歩み始める。想像や思い出に
逃避するだけでなく、“今の自分”と向き合い、言葉を瞼からひね
り出していく。そしてその言葉がまた素晴らしい。私はその最初の
ほんの数行を聞いただけで原作を読みたくなってしまった。詩的で、
思慮深く、少しの皮肉の効いた言葉、それは衝撃的ですらあった。

 そしてこの作品を見ながらずっと思ったのは「愛はどこからやっ
てくるのか」ということだ。この作品はあらゆる言葉、あらゆる仕
草に愛があふれている。彼の言葉を我慢強く書き留め続けたクロー
ドが彼に対して感じたのは“愛”に他ならないではないか。療法士
のアンリエットも子供たちの母親のセリーヌも彼に愛を感じている。
それは同情ではない。愛は突然ふらりと出現しわれわれを捕らえる。
この作品はそのような愛にあふれているのだが、それはいったいど
こから来るのか。
 この作品が感動的なのは何故か。ジャン=ドーの「自分を憐れむ
ことをやめた」勇気と周囲のひとの愛情、その愛が彼を勇気付けた
のか、それとも彼の勇気が人々の愛をひきつけたのか。それともど
ちらでもないのか。大きなポイントとなるのは「死にたい」と綴っ
たジャン=ドーに対して療法士が怒るシーンだろう。彼女の怒りは
彼に対する周囲の愛情の顕れである。愛は彼に生きるよう強いる。
彼はそれに答えて生きる。それならば愛が先であり、その愛こそが
この作品に感動をもたらすものということになるのだが、やはり残
る疑問は「愛はどこからやってくるのか」ということだ。
 どんどん突き詰めて考えていけば、もしかしたら答えを見つけ出
すことができるのかもしれない。しかし、それはこの作品とは関係
の無いことのような気がする。この作品にとって重要なのは、この
作品が「愛はいったいどこから来るのか」と考えさせるほど愛にあ
ふれた映画だということだ。これは決して幸福な作品ではない。し
かしそこには愛がある。愛は人を強くする。愛は自分勝手でもある。
愛は行き違う。愛は奪う。しかし人は愛に生かされる。
 この作品が素晴らしいのはその愛が画面からにじみ出てくるから
だ。もちろん原作も素晴らしいが、脚色も、映像も、演出も素晴ら
しい。見ればどっぷりと世界に浸ることができ、愛を分けてもらう
ことができる。こんな作品はなかなか無い。これ以上、この作品に
ついて解説するのは無粋というものだ。見ればおのずと感じること
ができることをわざわざ書きたてることは無いだろう。




□ ヒビコレリンク

 『潜水服は蝶の夢を見る』公式サイト
  


□ DVD今日の買い!

<今日の作品:潜水服は蝶の夢を見る>

 原作本:「潜水服は蝶の夢を見る」
  http://tinyurl.com/ypxy79


<今日のお勧め>

 ジュリアン・シュナーベルを。

 『夜になるまえに』
  http://tinyurl.com/2eapuq

 『バスキア』
  http://tinyurl.com/2dekyp

 『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』(出演)
  http://tinyurl.com/yvdj38







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2008年02月06日

ショートバス

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今日は抹茶の日だそうですよ。
お茶で使う“風炉”からの語呂合わせで、お茶の名産地である
西尾市が創業120周年を記念して決めたそうです。相当無理が
ある気がしますが、まあいいでしょう。
東京もまた雪が降って寒いので、温かいお茶は飲みたいですが、
お茶を点てるってのは日常にありませんからね。でも点てたお
茶も飲むとおいしいですよね。
家庭で気軽に出来るセットをご紹介しておきます。

あとは、おいしそうなインスタントの抹茶ラテを見つけたので
それも。

抹茶のスウィーツといえば、神楽坂の紀の善の抹茶ババロアが
有名ですが、FAX注文でお取り寄せができるようです。
お好きな方はぜひどうぞ。



-------- 目次 --------

■ 今日の映画
 ショートバス

□ ヒビコレリンク

□ DVD今日の買い!

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■ 今日の映画 − ショートバス


--cinema2148-----------

 ショートバス

 Shortbus
 2006年,アメリカ,101分


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<キャスト&クルー>

監督 ジョン・キャメロン・ミッチェル
脚本 ジョン・キャメロン・ミッチェル
撮影 フランク・G・デマルコ
音楽 ヨ・ラ・テンゴ

キャスト ポール・ドーソン
     スックイン・リー
     リンジー・ビーミッシュ
     PJ・デボーイ

<評価>

☆☆☆1/2(満点=5)


<プレヴュー>

 ニューヨーク、ゲイの青年ジェイムズは自分のオナニーをビデオ
に録画する。向かいのビルにはそれを覗く男。SM女王のセヴェリ
ンは金持ちのぼんぼんを客に仕事をこなす。ジェイムズと恋人のジェ
レミーが相談に行った恋愛カウンセラーのソフィアは実はオーガズ
ムを経験したことがないことを告白し、ふたりに“ショートバス”
というクラブを紹介される…
 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロ
ン・ミッチェルが描く、過激でしかし真摯な愛のドラマ。



<レビュー>

 映画の始まりは、いわゆるハリウッド映画(特にラブコメ)の定
番である街の空撮をパロディ化したかのようなジオラマの空撮であ
る。よく見るとこれはCGで、この部分だけで相当金がかかってい
るように見える。このCGによるオープニングからいきなり部屋の
中で自分の陰部を撮影している男のシーンへと移ることで、作品の
世界を一気に表現するのだから、このCGの効果は絶大だ。そして、
最初のシークエンスはその自分の陰部を撮影する男とそれを覗く男、
セックスするカップルにSMの女王様とその客という3組のセック
スシーンからなる。
 このシークエンスはかなり強烈だ。セックスを描いているにもか
かわらず、そこにあるのは欲望ではなくなぜか悲しみと可笑しさだ。
自分の陰部を撮影した男ジェイムズは恋人が家に帰ってきて愛想笑
いを浮かべるが、その心には孤独が巣食っている。夫とセックスを
していた恋愛カウンセラーのソフィアは「いっているふりをしてい
る女がいるんだって」という話をして、それが自分のことだという
ことを言外に示す。SMの女王様セヴェリンは終始、鬱積したもの
を吐き出せないかのような表情で貸し倉庫にある我が家に帰る。

 この作品でまず目を引くのはやはりさまざまな性癖を持つ人々と
彼らの性行動を赤裸々に描いた描写だろう。「少し変わった人たち」
が集まるショートバスでは彼らは自分の性癖をさらけ出し、折り重
なるようにセックスする。服を着ている人よりも裸の人のほうが多
いのではないかという描写と、本当にセックスしているところを撮
影した映像は(映倫の“配慮”によりぼかされているにしても)か
なりショッキングではある。
 だから、まずいわゆる“良識”を持ったひとは目を背けたくなる
ような作品だと思う。セックスの具体的な描写に嫌悪感を持つ人は
もちろん、いわゆる“アブノーマル”な性を理解できない人も受け
入れることが出来ない作品だ。しかもジョン・キャメロン・ミッチェ
ルはあえてそれをやっている。それが端的に現れていたのはゲイの
3人がセックスをするシーンでお尻に口をつけてアメリカ国歌を歌
うシーンだ。保守派のキリスト教徒が見たら卒倒しそうなこのシー
ンに彼の意図が明確に表れている。彼はもはやそのような人々にこ
の作品を見てもらおうとはしていない。彼はこの作品に共感できる
ような人々しか相手にしていないのだ。
 では、この作品に共感できるような人々とはいったい誰か。ショー
トバスの中で誰かが「911が初めてのリアルだった」という話をす
る。この作品で描かれているのはそういった“リアル”を喪失した
人々だ。彼らはそのリアルを求めてショートバスへと集まる。同じ
ようにリアルを喪失した人々は彼らに自分の姿を重ね合わせる。こ
の作品に描かれている人々は確かに極端だ。しかし、彼らは私たち
の心の底にある欲求や悩みを局限化した存在なのだ。

 そして、そのリアルの喪失と探求に使われるのがセックスである。
オーガズムを感じたことがないソフィアがなぜオーガズムを感じな
いのか、そしてどうしたらオーガズムを感じることが出来るのかと
いう物語にそって描かれる人間とセックスとの関係によって“リア
ル”の問題を追及していく。
 オーガズムについてこの作品が語ることを簡単に言えば、オーガ
ズムというのは女性が外の世界や自分自身とどのように関わってい
るかを象徴的に示すものだということだろう。オーガズムを感じる
ことができないソフィアは外の世界に対しても自分自身に対しても
心を閉ざし、心の奥底にある何かを解放することを恐れている。ひ
とりでいるときにしかオーガズムを感じることが出来ないセヴェリ
ンは自分だけが抱え、外の世界には決して見せられない何かを抱え
ている。
 同じようにゲイのジェイムズやジェイミー、そしてそれを覗く男
のセックスに対する態度も彼らのあり方を表している。特にすべて
を撮影し、映像によってしか世界と関わることが出来ないジェイム
ズは決定的にリアルを喪失した存在だ。
 このソフィアとジェイムズを追ってゆくことで、リアルの所在は
少しずつ明らかになっていく。しかし最後まで決定的な答えは出な
い。セックスは人々にリアルを感じさせるものであると同時にそれ
を阻害するものでもある。
 しかし、いろいろ考えていくとただそれだけではないということ
もわかる。セックス抜きの親密な語らいも同じようにリアルなもの
だし、灯りがちらつくことで訪れる一瞬の静寂や最終的に訪れる停
電も文明とリアルということを考えさせる。
 この作品は決して手放しに面白いと賞賛できる作品ではないが、
ジョン・キャメロン・ミッチェルは本当にいろいろなことを考えて
いる人なのだということを感じる。『ヘドウィグ・アンド・アング
リーインチ』のほうがはるかに面白いが、この作品のほうがもしか
したら彼の考えをよく伝えているのかもしれない。





□ ヒビコレリンク

 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』


□ DVD今日の買い!

<今日の作品:ショートバス>

価格:¥ 3,870(定価:¥ 4,935)
おすすめ度:



<今日のお勧め>

 ジョン・キャメロン・ミッチェル関係

価格:¥ 2,263(定価:¥ 2,625)
おすすめ度:


価格:¥ 2,953(定価:¥ 3,990)
おすすめ度:


価格:¥ 3,880(定価:¥ 4,935)
おすすめ度:



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2008年02月05日

トゥー・フォー・ザ・マネー

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餃子問題はじわじわとわかってきましたね。とりあえず問題な
のは、「中華deごちそう ひとくち餃子」と「CO・OP手
作り餃子」に絞られてきたようです。この商品を持っている、
あるいはどこかで目にしたという方はすぐに購入元に連絡しま
しょう。

しかし、こう餃子餃子と騒がれるとなぜか逆に餃子が食べたく
なってしまうのが人の常。
というわけで、先日私は餃子を作って食べました。自分で作れ
ば安心ということで。
しかし、餃子ってのはやはり包むのがなかなか大変。やっぱり
できたものが… という方は出どこがはっきりした安心な商品
を買いましょう。ネットショップでも近頃はしっかりと出どこ
が書いてあります
ね。 *上のほうに
こちらはお得なお試しセット、おいしそうだぁ…

もっとたくさん!という方はこちらをどうぞ。100個

いやまだまだ!という方は240個どうぞ

ここも下のほうに国内自社工場と書いてありますね。

もうやけ、360個買って、餃子大食い大会だ!


あーなんだか、餃子はテンションがあがりますね…

昨日はスーパーボウルがありまして、まあ日本ではあまり盛り
上がりませんが、私はアメフト好きなので見ました。それから
HDレコーダの中身をチェクしていたらこんな映画があったの
でそれを見た次第です。
『トゥー・フォー・ザ・マネー』というスポーツ賭博のお話。



-------- 目次 --------

■ 今日の映画
 トゥー・フォー・ザ・マネー

□ ヒビコレリンク

□ DVD今日の買い!

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■ 今日の映画 − トゥー・フォー・ザ・マネー


--cinema2147------------

 トゥー・フォー・ザ・マネー

 Two for the Money
 2005年,アメリカ,122分


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<キャスト&クルー>

監督 D・J・カルーソー
脚本 ダン・ギルロイ
撮影 コンラッド・W・ホール
音楽 クリストフ・ベック

キャスト アル・パチーノ
     マシュー・マコノヒー
     レネ・ルッソ
     アーマンド・アサンテ

<評価>

☆☆☆(満点=5)


<プレヴュー>

 大学でスターQBだったブランドン・ラングは膝の怪我でプロ入
りはかなわなかったが、復帰を期して働きながらトレーニングにい
そしんでいた。その彼がフットボールの勝敗予想の仕事を始めると、
ものすごい的中率で、ニューヨークからスカウトがやってくる。そ
の社長ウォルターはブランドンを天才と持ち上げ、売り出そうとす
る。
 アル・パチーノとマシュー・マコノヒーが共演しているが味わい
はB級映画のものでなかなかいい。監督は『テイキング・ライブス』
のD・J・カルーソー。



<レビュー>

 簡単に話を説明すれば、怪我でプロの道を閉ざされた男が、予想
屋として成功するというだけの話。ただそれだけの話なので、ただ
それだけの話として筋を追っていくとこの映画はこれっぽちも面白
くない。そもそもスポーツ賭博というのが日本ではなじみが無いし、
ギャンブルの当たったあたらないであからさまに生活が変わるとい
う生き方をするということがどうも信じられないのだが、ブランド
ンはギャンブルに生活をかけてしまうような人間を乗せて大金をか
けさせる。まあ予想が当たるから相手も儲かって結果的にはいいの
だが、そこはあくまでもギャンブル、いくら天才と入ってもあたる
ときとあたらないときがあるわけだ。まあ、そんな冷静な判断をす
る人はギャンブルなんかそもそもやらないわけだが、そう考えると、
この作品の前半(というか中盤過ぎくらいまで)はまったくどうで
もいい話に思えてくる。予想屋で大金を稼いだってそれが何だとい
う感じだ。
 しかし、この作品の肝はそこには無い。このブランドンの才能を
見出し、彼に“ジョン・アンソニー”という名前を与え、さまざま
な策を弄して彼を操ろうとする男ウォルター、彼の行動がどうも引っ
かかり、この単純明快でどうでもいい話にもやもやした感じを付与
する。
 ウォルターが何らかの依存症であることが妻のトニーによって示
唆され、ウォルターはやたらにブランドンを持ち上げ、ブランドン
とトニーの関係を疑い、ギャンブルに依存する人たちの集会に行っ
て「本当は負けたいという欲求があるんだ」と演説をぶつ。単純な
物語のまっすぐな道を何度も横切りながら蛇行するようなこのウォ
ルターの言動の行く先はどこなのか。心臓に持病を抱え、ブランド
ンが現れたから何かあってももう大丈夫だとトニーに繰り返し語る
ウォルター、ブランドン以外の予想担当者を冷たくあしらいすらす
るウォルター、その男としても経営者としても不可解な行動の裏に
は何があるのか。その謎は観客にもブランドンにも意識されないま
まに映画の冒頭からずっと横たわっていた。
 そして、最後にその謎が瓦解する。それは決して劇的な展開では
無いけれど、納得できるしまったく単純に見えた物語の中に実はも
うひとつの縦糸が織り込まれていたことがわかって感心もする。

 でもまあこれはあくまでも(いい意味で)B級映画というべきだ
ろう。アル・パチーノもマシュー・マコノヒーももちろん大物だし、
レネ・ルッソもアーマンド・アサンテも十分に知名度のある役者だ。
しかしやはりスポーツ賭博というあまり表立ってできるものではな
いし、同時に裏社会のものとしては地味なジャンルが題材であるこ
とがこの作品のB級さをかもし出しているのだろう。アル・パチー
ノはさすがにうまいけれど、役者の演技がうまいだけで必ずしも映
画が高尚なものになるとは限らない。
 それにこのD・J・カルーソーという監督がまたB級な映像を作
り上げるのだ。時代が時代ならフィルム・ノワールでも撮るのだろ
うが、今の時代にはこの少々陰のある映画作りはどうしてもB級に
傾きがちだ。マーティン・スコセッシくらい大物になれば話は別な
のだろうが、まだまだ(というか今後も)そんな大物にはなれない。
『テイキング・ライブス』もそこそこの作品だったし、これもまあ
そこそこの作品だ。いっそもっとキャストを落として自由に作品を
撮ったら、もっと面白い作品が撮れるんじゃないかと思うが、TV
と映画を掛け持ちする演出家だからこんな感じでいいのかもね。




□ ヒビコレリンク

 『テイキング・ライブス』


□ DVD今日の買い!

<今日の作品:トゥー・フォー・ザ・マネー>




<今日のお勧め>

 アル・パチーノは最近地味?

価格:¥ 2,800(定価:¥ 3,980)
おすすめ度:


価格:¥ 3,192(定価:¥ 3,990)
おすすめ度:


価格:¥ 5,790(定価:¥ 6,258)
おすすめ度:


価格:¥ 1,990(定価:¥ 3,990)
おすすめ度:



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2008年02月04日

それでもボクはやってない

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昨日は節分で、寄席に行きました。
節分の寄席は豆まきがあって、豆に加えて芸人の手ぬぐいなども
撒きます。というわけで池袋演芸場に行ったのですが、いつもは
閑散としている池袋演芸場が足の踏み場も無い超満員、見事手拭
いはゲットしましたが、ものすごい熱気で疲れました。
で、昨日のお目当てはその豆まきと人気者の落語家柳家喬太郎だっ
たのですが、この喬太郎が本当に面白かった。3人前の演者であ
る橘家文左衛門の噺を受けた噺だったのですが、これが爆笑の上
にうならせるでき、しかもそういうシチュエーションがあっての
話なので、もう2度と聞くことはできないものでした。
やはり落語は生で聞かないとということを再確認した高座でした。

落語の興味があるという方はぜひ喬太郎という名前を探して行っ
てみてください。
こんな↓DVDにもでていますが。
価格:¥ 3,870(定価:¥ 3,990)
おすすめ度:




-------- 目次 --------

■ 今日の映画
 それでもボクはやってない

□ ヒビコレリンク

□ DVD今日の買い!

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■ 今日の映画 − それでもボクはやってない


--cinema2146------------

 それでもボクはやってない

 2007年,日本,143分

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<キャスト&クルー>

監督 周防正行
脚本 周防正行
撮影 栢野直樹
音楽 周防義和

キャスト 加瀬亮
     瀬戸朝香
     山本耕史
     もたいまさこ
     光石研
     大森南朋
     役所広司
     小日向文世

<評価>

☆☆☆☆(満点=5)


<プレヴュー>

 フリーターの金子徹平は会社の面接のためにラッシュの電車に乗っ
ていた。電車を降りた彼は女子中学生に痴漢だといわれ、そのまま
警察に連れて行かれる。犯人だと決め付ける警察に対し一貫して無
罪を主張するが、その言葉吐き切れられず、弁護士まで示談を勧め
る…
 社会的な問題となっている痴漢と痴漢冤罪事件を題材にした社会
派ドラマ。実際の事件のドラマ化ではなく、多くの痴漢事件からモ
デルケースを作ってドラマとして組み立てた作品で、その分、司法
制度全体の問題点がわかりやすく描かれている。


<レビュー>

 痴漢のような“性犯罪”は被害者の感情や、これまでの法制度の
あり方の問題もあって、被害者保護を進めることに重点が置かれて
きた。精神的に痛手を負った被害者が告発し、有罪を立証しなけれ
ばならないというのは酷だから、被害者の証言が被告人の有罪を推
定するようになってしまうのだ。
 しかし、それが行過ぎると、冤罪事件が生まれてしまう。何より
も保護すべきが被害者であることは間違いないのだが、そのために
無実の人が有罪にされてしまうというのもまったく許せないことで
ある。
 この非常に難しい問題をこの作品は描いている。

 この作品を見てまず思うのは、非常に慎重に問題を捉えていると
同時に、エンターテインメントとしてもしっかりと構成されている
という点だ。
 まず、この作品は被害者側をほとんど描かない。こういう裁判も
のの映画というのは、必ずどちらかの側が正義になり、観客を同じ
側に立たせ、反対する側と対立させることが必要だ。そうしないと
観客は戦っている当事者の立場に入り込めないし、その主人公の感
情を共有できない。だから、この作品でも観客は必ずこの主人公が
痴漢をやっていないということを確信し、彼の味方になって警察と
検察をやっつけようという気持ちになるように仕向けなければなら
ないわけだ。しかし、そうすると被害者も向こう側(平たく言えば
敵側)に回ってしまうことになる。しかし、その被害者が痴漢の被
害を受けたことは間違いないわけで、被害者を責めることはできな
い。そこでこの作品は、警察と検察とそして何よりも司法制度を敵
として描くことで被害者を隠すのである。被害者と被告の証言が食
い違っているのは、被害者が嘘をついているのではなく、制度がそ
の食い違いを埋めようとしないからだと主張するのである。
 本来ならば、被害者も被疑者も同じように人権が尊重され、それ
ぞれの言い分は公平に勘案され、お互いの勘違いや嘘はひとつひと
つ解きほぐされていかなければならないはずだ。しかし実際はそう
は行かない。そしてそうは行かない理由をこの作品は丹念に描いて
いくのだ。やっていないと嘘をつく痴漢の加害者を毎日取り調べな
ければならない警察官、何十何百という事案を常に抱えている裁判
官、現場に居合わせた人たちの無関心、それらについて私たちは主
人公とともに憤るが、それがこの国のシステムなのだ。
 この作品はそのシステムに対する憤りをうまく使い、この裁判が
どうなるのかという行方を縦糸として、うまくプロットを組み立て
る。司法制度というシステムは主人公が有罪になる方向に進み、無
力な主人公達はそれに抵抗する。そしてその司法制度内にも問題が
あり、ひとりひとりの裁判官や検察官、警察官にもいろいろある。
司法制度の問題を描きながら、それで済ませるのではなく、それに
関わる人間を描くことで、身近な物語に変えているのだ。

 私たちは常に“人”を見る。人と人とが出会うときに生まれるド
ラマを見る。だから人によって展開されていくこのドラマは面白い
のだ。
 しかし同時にこの作品が描こうとしているのは“人”超えた巨大
な国家という制度である。巨大な制度は常に人を押しつぶし、人と
人との出会いを阻害する。この主人公と被害者と裁判官とがただ人
として会ったなら、まったく別のドラマが生まれたはずなのだが、
この国家という制度の下では彼らはこのようにしか出会えなかった。
本当はそのことこそが悲劇なのである。
 そのような悲劇が生まれるのは、“人”と“国家”とが乖離して
いるからだ。普通の人はこの主人公やその家族のように裁判のこと
などまったく知らない。司法制度は本来は国家を支える根幹であり、
私たちの生活と密接に関わっているもののはずなのに、ほとんどの
人にとってはまったくあずかり知らぬ世界なのである。ここにすで
に“人”と“国家”との乖離は存在している。それは司法制度に限っ
たことではなく政治でも経済でも、あらゆる部分で私たちは“国家”
に影響されていながら、それに気づかず暮らしている。
 しかし、ある日その乖離した“人”と“国家”の間に突然関係が
でき、その関係は大体の場合“人”にとっては悲劇なのだ。それは
国家が人に手を伸ばすのは、国家がその人をコントロールしようと
するときだからだ。
 だから私たちは逆に自分から国家に手を伸ばそうとしなければな
らない。しかし、巨大な国家と違ってちっぽけな私たち個人には国
家との大きな間隙を乗り越えるだけのジャンプ力が無い。ならば個
人は協力し合って、その間隙を越えようとしなくてはならないのだ。
それは困難だが不可能ではないということをこの作品はかすかな可
能性として示す。
 そして、国家も最終的には個人で成り立っているのだということ
も同時に言っている。権力を構成している個人を変えることができ
れば、最終的に権力を変えることができるかもしれない。しかし、
権力の中にあっても個人は国家とは乖離し、制度の対しては無力だ。
大森南朋や小日向文世はそのことを体現している。無数に張り巡ら
された国家による包囲網をとくことは非常に難しいけれど、そのこ
とを知っているだけでも意味はある。
 だからこの作品は最後までもやもやが残ってもぜひ見るべき作品
なのだと思う。




□ DVD今日の買い!

<今日の作品:それでもボクはやってない>




<今日のお勧め>

 今日は周防正行で。

価格:¥ 4,293(定価:¥ 4,935)
おすすめ度:


価格:¥ 3,000(定価:¥ 4,935)
おすすめ度:


価格:¥ 3,980(定価:¥ 4,935)
おすすめ度:


価格:¥ 15,880(定価:¥ 3,990)
おすすめ度:



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2008年02月02日

音のない世界で

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冷凍餃子は大変なことになっていますね。
穴が開いていたということで、人為的なものかもしれないという
ことになっていますが、これだけ場所がばらけているということ
は人為的にしても輸入前になされているということですから、そ
れをチェックできなかったというのは…
さらには、その中国の工場では40歳以上の従業員が一律解雇され
ていたとか、JT株が事件公表の2日前に急落していたとか、い
ろいろな方向に波及しています。

原因はいろいろですが、地産地消のエコライフ、スローライフに
向かっているのでしょうね。グローバル化のさまざまな弊害が明
らかになって、世界は変わろうとしている。そんな気がします。
世界はグローバル企業ではなくもっと身近なところでつながって
いかなければならない。そんなことを思いました。



-------- 目次 --------

■ 今日の映画
 音のない世界で

□ ヒビコレリンク

□ DVD今日の買い!

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■ 今日の映画 − 音のない世界で


--cinema2145------------

 音のない世界で

 Le Pays Des Sourds
 1992年,フランス,99分


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<キャスト&クルー>

監督 ニコラ・フィリベール
撮影 ニコラ・フィリベール
   フレデリック・ラブラックス
音楽 アンリ・メコフ

キャスト 

<評価>

☆☆☆1/2(満点=5)


<プレヴュー>

 パリの聾学校、子供たちは手を口元に持っていって息がかかる感
覚で聞こえない音を出す練習をしている。聾の子供たちを持つ大人
たちのクラスでは、聾の男性が大きなゼスチャーで自分の経験を伝
える。
 聾の人たちがどのように感じ、どのように生活しているかを描い
たドキュメンタリー。


<レビュー>

 子供たちは繰り返し繰り返し聞こえることのない音を発する練習
をしている。補聴器をつければ、ある程度の音は聞こえるようなの
だが、それでもこれまで聞いたこともない音を、やったこともない
やり方で出そうということで、それがいったいどんな体験なのかは、
想像することすら難しい。彼らには自分が発している音がどう聞こ
えるか決してわからないのだ。新たな技術を身につけ、それを自分
の感覚で確認することができないまま実践していく。そのことの困
難さがまず気になる。
 しかし、子供たちも大人たちもそんなことを気に病む様子はあま
りなく、それぞれ生活を楽しみ、生き生きと暮らしている。もちろ
んその生活に苦労はあるだろうが、聾者同士の間では盛んに手話の
会話がなされ、音のない世界にある種の安心感を感じている。ある
若者はインタビューで始めて補聴器をつけたときの記憶を語り、家
に帰って補聴器をはずし、音のない世界に戻ると安心したと言う。
音のない世界が普通の彼らにとって音のある世界とは自分の感覚を
乱す、余計なものが多すぎる、煩雑な世界なのだろう。
 しかし、やはり社会とかかわらざるを得ないとき、そこには困難
が生じる。この作品の中で取り上げられているのは、若いカップル
が部屋を探しているシーンだ。ここでは若いカップルが何とか話が
できる友人と不動産業者と部屋を見に来ているのだが、なかなか話
が通じない。肝心の友人の発音ははっきりせず、唇を読むのも正確
にはできない。不動産業者の顔には明らかな戸惑いの表情が浮かぶ。
 ここで気づくのは、フランスの聾者に対する教育があくまでも自
立すること、健常者に混じっても普通に生活できることを目指して
いるようだということだ。手話や筆談を使って社会の中で困らない
ようになるのではなく、唇を読み聞こえない言葉をしゃべることで
うまくすれば聾と気づかれないくらいの生活を送れるようにする。
そこを目指しているような気がする。
 日本やアメリカを見ていると、そうではなくて社会も聾者のほう
に歩み寄り、妥協点というかどちらも多少の不便を感じながらも、
みなが生活できる環境を作ろうとしているように見えるのだが、フ
ランスの場合は聾者であっても一人の個人として社会に適応できる
ように努力しなければならないようになっている。ここにお国柄の
違いが感じられる。このあり方はどちらにもいい点もあれば、悪い
点もある。それはあくまで違いであってよしあしではない。

 とにかく、そのようなフランスの社会で生きる聾者たちの日常を
この作品はうまく切り取っている。その困難さを強調すると言うよ
りは、彼らも当たり前に生きているのだということを示している。
彼らと出会っても不動産業者のように戸惑うのではなく、一人の個
人として尊重し、対等に扱うこと、それが彼らにとって重要なこと
なのだ。もちろん耳が聞こえる人と聞こえない人の間に違いはある。
しかしそれは差異に過ぎない。耳が聞こえる人のほうが世の中には
多いから、社会が耳が聞こえる人に便利なようにできているという
だけで、耳が聞こえないことは必ずしも欠点ではないのではないか。
世の中が色々便利になったら、耳が聞こえる/聞こえないというの
は、右利き/左利きくらいの差異になってしまうかもしれない。
 そんなことをつらつらと考えてしまうくらいに彼らは生き生きと
していた。




□ DVD今日の買い!

<今日の作品:音のない世界で>

 『音のない世界で』のDVDは未発売です。
  ビデオはあります。


<今日のお勧め>

 数は少ないですが、ニコラ・フィリベールを。

価格:¥ 4,536(定価:¥ 5,040)
おすすめ度:


価格:¥ 4,990(定価:¥ 5,670)
おすすめ度:





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posted by ヒビコレエイガ at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ヨーロッパ1990年代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする