2008年03月17日

パラダイス・ナウ

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今朝の朝日新聞にイラクで女性による自爆テロが増えていると
いう記事というか社説が載っていました。このところイラクで
はタリバーンとイラク国内の過激派の乖離が進み先頭が沈静化
しているようですが、国民の生活の回復はまだ始まってすらい
ません。それが夫を失い、生活することするままなら無い女性
たちの自爆テロにつながっているということです。

今日はそんなことにも関係してきますがパレスティナの自爆テ
ロを描いたサスペンス『パラダイス・ナウ』です。

今日からアラブ映画祭も始まっていますし、アラブ関係の映画
に注目してみてください。

アラブ映画祭2008




-------- 目次 --------

■ 今日の映画
 パラダイス・ナウ

□ ヒビコレリンク

□ DVD今日の買い!

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■ 今日の映画 − パラダイス・ナウ


--cinema2173-----------

 パラダイス・ナウ

 Paradise Now
 2005年,パレスチナ=フランス
 =ドイツ=オランダ=イスラエル,82分


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<キャスト&クルー>

監督 ハニ・アブ・アサド
脚本 ハニ・アブ・アサド
   ベロ・ベイアー
撮影 アントワーヌ・エベルレ
音楽 ジナ・スメディ

キャスト カイス・ネシフ
     アリ・スリマン
     ルブナ・アザバル
     アメル・レヘル
     ヒアム・アッバス
     アフラフ・バルフム

<評価>

☆☆☆1/2(満点=5)


<プレヴュー>

 イスラエル占領地、ヨルダン川西岸地区の町ナブルス、車の修理
工場に勤めるサイードとハーレド。ある日ハーレドが客と悶着を起
こしクビに、サイードはヨーロッパ育ちの女性スーハと知り合う。
その夜、ふたりはテルアビブでの自爆テロの実行者に決まったと告
げられる。翌日ふたりは決心を決めて国境へと向かうが…
 自爆テロを題材としたサスペンス・ドラマ。監督はパレスチナ人
のハニ・アブ・アサド。アカデミー外国語映画賞にノミネートされ
るが、イスラエル人による反対運動が起こったといういわく付きの
映画。


<レビュー>

 この映画からわかるのは、自爆テロ犯というのが必ずしも宗教的
狂信者では無いということだ。希望の無い生活に絶望した若者が自
分の未来と家族や国家の未来、そしてこの戦いの行く末を見据えよ
うと努力しながら、選択した選択肢なのだ。そのような選択に至る
にはさまざまな要素があることをこの作品は描く。入植者によって
土地を奪われたことへの怒り、それを発端とする戦争により家族や
友人を奪われたことへの憤り、テロという手段の有効性に対する疑
念、他の手段が見つからないもどかしさなどなど、それらの様々な
要素を整理して考えるというよりはそれらをすべて飲み込んだ上で
どのような感情が沸くかによって行動を決めようとするサイードに
はためらいがある。それに対してシンプルに自爆テロの意義を信じ
るハーレドにはためらいが無い。
 しかし、最初の計画が躓いたことでふたりの心境に変化が表れる。
そこで生じる心の変化というのはなかなか捉えずらい。結論として
は自爆テロをするかしないかというどちらかなのだが、その結論の
どちらに振れるかは様々な要素よ微妙なバランスによって違ってく
るのだ。その微妙さ、テロを実行するかどうかということが妄信的
な決意によってではなく微妙な判断の結果であることを言うことに
この映画の意義があるのだろう。
 この作品はその決断に至る過程をサスペンスとして描くことでそ
の部分をクロースアップする。テロという明確な行為の背後にある
決して明確では無い背景、そこに目を向けることから問題のありか
が見えてくるのだろう。

 根本的な問題はステレオタイプ化と二元論にあるのだろう。イス
ラエル人とパレスティナ人、入植者と被入植者、加害者と被害者そ
のような二元論によって人々は行動に駆られ、自爆テロを起こした
り、戦争に参加したり、映画上映の反対運動に参加したりする。
 しかし、その二元論の2つの項目の境界というのはそれほど鮮明
なものなのだろうか。作品の終盤でイスラエルもパレスチナもとも
に加害者であり同時に被害者であるということが語られる。加害者
と被害者はその瞬間には明確であるように見えるけれど、その事柄
を取り巻く状況を見てみると、それほど明らかではなくなってくる。
それはテロを実行する/しないという二者択一の判断の微妙さとも
通じるものだ。選択に至る過程は様々で、その判断は非常に微妙な
ものだけれど、結果からはする/しないというという単純なふたつ
の結論しか出てこないのだ。二元論というのはつまりそういうこと
だ。物事をふたつに分け、その内部の違いには目をつぶり、物事を
単純化して断罪したり擁護したりする。
 私がここで敢えて自爆テロ犯と映画上映の反対運動に参加する人
を同列に論じたのは二元論によって論じられる一方にはそれほどか
け離れた人々が一緒くたに含まれているということを言いたいがた
めだ。アメリカがパレスチナの“過激派”という人たちの中にはこ
の映画でテロ実行犯となるべく選ばれたサイードはもちろん含まれ
るが、たとえばその母親も息子を守ろうとしただけでそこに含まれ
てしまう恐れがある。パレスチナ人は“過激派”と“それ以外”に
区別されてしまうが、その境界はどれほど明確なのだろうか。アメ
リカはイラクを空爆した際、一般人は巻き込んでいないといったが、
その“一般人”と“戦闘員”の間にどれほど明確な境界があるとい
うのか。しかし、アメリカは(同時にイラク側も)そこに境界を定
めて自分達の正しさを声高に主張する。そこから生まれるのは水掛
け論と無理解と恨みと復讐だけである。
 重要なのはその二元論自体を壊すことであり、ステレオタイプと
いう牢獄から人々を解放することだ。それは何も大げさなことでは
なく、一人一人の人間がそのように考えることによって始まること
だ。二元論はわかりやすい。だから人間は二元論に頼る。しかし現
在の社会/世界では複雑なことを単純化する利益よりもその弊害の
ほうが大きくなってしまっている。われわれは二元論を捨てて、人
間の特性である巨大な脳を使って複雑なことを複雑なまま捉える努
力をすることこそがいま求められているのだと私は思った。






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posted by ヒビコレエイガ at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | アジア2000年以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする