2008年04月23日

アイム・ノット・ゼア

今日の話題はやはり“死刑”です。
光市の事件で死刑判決が出ましたが、裁判員制度が始まろうとして
いる今、傍観していられる事態ではありません。果たしてあなたが
裁判員なら、死刑にしたか否か。この事件についてはマスコミに対
して一方的な報道に対して注意がなされたこともあるし、刑事裁判
への被害者遺族の参加の問題もあって、非常に複雑な問題をはらん
でいるように思います。
鳩山法相は次々と死刑を執行していますが、死刑とはいったい何な
のか、それを考えなければならない時期なのではないかと思います。
特に問題になるのは無期懲役と死刑の境界ということですが、これ
が問題になる背景には無期懲役と死刑の間の格差があるのだと思い
ます。無期懲役とはいいながら、数十年で社会に復帰できる刑罰と
命を奪われる刑罰、その差があまりに大きい。
裁判員制度が始まるに際して私がまず知りたいのは無期懲役という
刑罰の実態です。実際にどれくらいの刑期が課せられ、仮釈放され
た仮釈放者はどうなるのか、再び犯罪を犯したケースがどれくらい
あるのか、彼らをどう監視しているのか、そういうことがわからな
ければ死刑か無期懲役かを判断することは出来ないし、刑罰につい
て根本的に考え直すことも出来ないと思います。
参考書
『光市事件裁判を考える』
 http://tinyurl.com/3sojgm
死刑についての参考書
『Q&A 死刑問題の基礎知識』
 http://tinyurl.com/4o4vxh
『死刑のすすめ―積極的死刑拡大論』
 http://tinyurl.com/4gfewv
『死刑廃止論』
 http://tinyurl.com/3ko5df

無期懲役に関するデータはここにありました。
http://share.dip.jp/hannichi/yosimasa/mukisiryou/siryou.html
http://www.geocities.jp/y_20_06/parole.html
仮釈放までの期間の平均は25年くらいですが、50年以上在所という
受刑者もいて、無期懲役の在所期間がどれくらいかは一概には言え
ないようです。再犯についてのデータは見つかりませんでした。

さて、
今日は今週末公開の『アイム・ノット・ゼア』です。
ディランファンもそうでない人もぜひ見て欲しい作品。
ちょっと早いんですが、今日は浦沢直樹、和久井光司のトーク
ショーがあるそうです。



■ 今日の映画 − アイム・ノット・ゼア


--cinema2197-----------

 アイム・ノット・ゼア

 I'm not there
 2007年,アメリカ,136分


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<キャスト&クルー>

監督 トッド・ヘインズ
原案 トッド・ヘインズ
脚本 トッド・ヘインズ
   オーレン・ムーヴァーマン
撮影 エドワード・ラックマン
音楽 ランドール・ポスター
   ジム・ダンバー

キャスト クリスチャン・ベイル
     ケイト・ブランシェット
     マーカス・カール・フランクリン
     リチャード・ギア
     ヒース・レジャー
     ベン・ウィショー
     ジュリアン・ムーア
     シャルロット・ゲンズブール

<評価>

☆☆☆☆(満点=5)


<プレビュー>

 アルチュールと名乗り意味深な言葉で質問をはぐらかす詩人、ギ
ターを抱え貨物列車に乗り込んで音楽を語る黒人の少年、社会派
フォークで人気を博したロックスター、フォークシンガーの伝記映
画に出演するハリウッド・スター、プロテスト・ソングを捨て新た
な音楽を求めたロック・スター、山深い小屋で犬と隠遁生活を送る
元ロック・スター。
 6人の役者がボブ・ディランをモデルにした6人の人物を演じた
前衛的な伝記映画。監督は『ベルベット・ゴールドマイン』のトッ
ド・ヘインズ。<レビュー>

 ボブ・ディランは伝説である。ミュージシャンにとってだけでな
く、一般のロック・ファンにとっても伝説であり、マニアも多い。
マニアでなくともその名前は聞いたことがあるし、その曲も聞いた
ことがある。しかしよく考えると耳覚えがあるのは“Blowin' In
The Wind”や“The Times They Are A-Changin'”、“Like A
Rolling Stone”といった60年代の楽曲ばかりで70年代以降の曲は
具体的には名前を挙げることはなかなか出来ない。しかし、実際は
その曲を耳にしているはずだし、彼は今も曲を作り続けている。
 この作品はそんなボブ・ディランの生涯を明らかに、しはしない。
この作品が描くのはその時々のボブ・ディランをモデルに作り出さ
れた架空の人物である。シンガーとして生きていくために旅を続け
る少年、社会派フォークで人気を得た歌手、ふたりの女性の間で揺
れるスター、ドラッグ三昧でエキセントリックな行動も多くなった
ロック・スター、隠遁生活を送る元ロック・スター、モノローグで
語り続ける詩人。私たちは彼らがボブ・ディランだという予備知識
を持ってみているからそこに共通点を見出すことが出来るが、漫然
と見たら完全に異なる人物にも見える。それはもちろんボブ・ディ
ランという人間の多層性を示し、彼の不安定さを物語る。
 伝説というのはその人物を必要以上に偉大な存在に仕立て上げ、
その思想や主義が一貫したものであるという幻想を与える。しかし
ディランはそのような人物ではなく、むしろ欺瞞に満ち、ドラッグ
に溺れ、女性にもだらしがない不安定な人間だった。この作品が6
人の人物によって描くのはボブ・ディランのそのような人間性だろ
う。この作品はディランの伝説を語るよりむしろ、その人間臭さを
暴くのだ。

 などと書いたが、とりあえずそれは見てから考えたことなわけで、
映画を見ている間はこのばらばらのエピソードがどうまとまってい
くのかを考えるのが精一杯で、なかなか理解するのは難しい。
 それでも一つ一つのエピソードが面白く、2時間を越える作品だ
が集中してみることが出来る。特に素晴らしかったのはケイト・ブ
ランシェットで、スターとなったが社会派フォークからエレキベー
スの激しいロックへと転向したディランの繊細さ、不安定さを見事
に演じている。このエピソードにはビートルズの話題や、イーディ・
セジウィックと見られる女性も登場し、設定としてもわかりやすい
し、このエピソードが映画の中心になっていることは間違いない。
 このエピソードが本当によくて、他がかすんでしまった感はある
が、どのエピソードもよくまとまっているし、振り返ってみるとそ
れぞれ意味がある。“This Machine Kills Fachists”というギター
を抱えた黒人少年と、牧師となった元ロックスター、このふたりが
同一人物とだれが想像できるだろうか。しかし、ボブ・ディランは
ウクライナ系ユダヤ人で、しかし70年代にはカトリックに改宗し80
年前後には「キリスト教3部作」と呼ばれるアルバム群を制作して
いる。

 このようにこの作品はボブ・ディランについて知れば知るほど、
さらに深読みできる作品なのだと思う。そして、ここでかかってい
る曲は魅力的で、ボブ・ディランの曲を聴きたいと思わせる。これ
はボブ・ディランという伝説への入り口であるのだろう。この入り
口からボブ・ディランの世界に入り、またここに戻ってきたらまた
違う風景が見える、そんな作品のように思える。
 私もボブ・ディランの曲が聞きたくなった。
 そしてまたここに帰って来たい。



□ ヒビコレリンク

 『アイム・ノット・ゼア』公式サイト
  
posted by ヒビコレエイガ at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ2000年以降 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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